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【第8章】 人間の「よさ」「可能性」を引き出す・・・・・・・歌人・島秋人の事例と「あるがまま」の考え方に流れる東洋的精神文化から考える

ZEN電子図書(CDブック)
とね先生の読むカウンセリングシリーズ(1)

森田理論で神経質は幸せになれる 

とね臨床心理士事務所/ZEN図書出版

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第8章 人間の「よさ」「可能性」を引き出す

 

とね臨床心理士事務所 カウンセリング・オフィス「ZEN」主宰

臨床心理士 / 自律訓練法認定士  刀 根 良 典

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●はじめに

 

今日は、「島秋人」という実在の人物の生涯を事例に取り上げ、人間の「よさ」「可能性」を引き出す、ということについて、ご一緒に考えてみたいと思います。

 

「島秋人」につきましては、テレビ番組で何度か取り上げられたこともありますので、ご存じの方もあるかも知れません。私は、教師になりたての頃、斉藤喜博著「君の可能性(筑摩書房)」という書物を通じて「島秋人」のことを知りましたが、実に考えさせられる事例です。この事例を糸口にして、森田療法等の東洋的な教育方法に流れている「あるがまま」の人間観について考えてみたいと思います。

 

1 「島秋人」の事例が示す人間の無限の可能性

 

「島秋人」このかたは、歌人、短歌を読むかたなのです。昭和40年に「遺愛集(いあいしゅう)」という、歌集が出版されています。また  毎日歌壇賞も授賞しておられます。歌集は、この「遺愛集」ただ一つしかありません。なぜ一つしかないのか。その理由につきましては、これから、お話を聞いていただくうちに、おわかりになってこられると思います。

 

「島秋人」が、どんな歌をよんでおられるか、「遺愛集(いあいしゅう)」の中から、いくつか紹介してみましょう。

 

虫あはれ  いのちのかぎり  泣くさまを  人は涼しき  ものとして聞く幸せを  祈りわが撒く  食パンの  白きを雀ら  おどおどと食む嘘つきし  身のさびしさよ  許さるる  嘘のありしを  聞きて安らぐ身に持てる  ものみな神に  還(かえ)すもの  生命ひとつは  愛(かな)しかれども

 

 

では、この歌人はどんな方なのか。「遺愛集(いあいしゅう)」に記載されている作者、島秋人の紹介を読んでみます。

 

昭和9年6月28日生まれ,幼少を満州で育った。戦後,父母とともに新潟県柏崎市に引き上げたが,母は疲労から結核になりまもなくなくなった。本人も病弱で,結核やカリエスになり,7年間もギブスをはめて育ったが小学校でも中学校でも成績は一番下だった。まわりから,うとんじられるとともに,性格がすさみ,転落の生活がはじまった。少年院にも入れられた。昭和34年雨の夜,飢えにたえかねて,農家に押し入り,2000円を奪い,争って,その家の人を殺し,死刑囚として獄につながれることになった。中学の頃,たった一度だけほめられた記憶を忘れられず,獄中から,その先生に手紙をだしたことがきっかけとなり,ひめられていた「うた」の才能の扉が開かれ,身も心も清められていった。昭和42年11月2日小管にて処刑。

 

 

これが「遺愛集(いあいしゅう)」に記載されています、島秋人のプロフィ-ルです。島秋人の「あきと」は「しゅうじん(囚人)」とも読むことができます。島秋人は、歌人であるとともに死刑囚でもあったのです。

 

●「低能児」「劣等児」とからかわれた少年時代

 

島秋人につきましては、先ほど紹介しました斉藤喜博著「君の可能性(筑摩書房)」にも、かなりのページ数をさいて取り上げられています。この本を参考にして、もう少し、私の方で説明を付け加えてみたいと思います。

 

島秋人は、小・中学校を通じて、成績はクラスで最下位だったようです。まわりからも「低脳児」だの「劣等児」だのと言われて、ばかにされていました。

 

また,自分でも「知能指数のひくい、精神病院に入院し、のうまく炎もやって」「僕はおろか、低能です。」と、大人になってから書いているような人間でした。

 

「遺愛集(いあいしゅう)」には,次のような一節があります。

 

私は、少年時代には、ていのう児と言われ満州から内地に引き上げてからの生活の貧しさに弱い躰と頭のはっきりしない事でとても苦しい目に会って来ました。

 

また、島秋人は、次のようなことも述べています。

 

僕は小学校5年の時、国語の試験にレイ点を取り、その先生に叱られて、足でけっとばされたり、棒でなぐられたりして、恐ろしさのあまり苦しまぎれのうそを云って学校から逃げ出し、八坂神社の裏の草やぶや、川口の岩の影にかくれて、逃げまわっていたことがあった。

 

勉強のこと以外にも、様々な成育上の悪い原因が重なってしまった結果であろうと思われますが、島秋人は、性格もすさみ、ひねくれた、気性もあらあらしい人間になり、まわりの人からも嫌われ、とうとう少年院に入れられることとなってしまいました。

そのあげく、「遺愛集」にもあるとおり、24歳のときに、飢えに耐えかねて、農家へ泥棒にはいり、二千円を盗ったところを、家人に見つけられ争いとなり、その家の人を殺し、死刑囚として獄につながれることとなってしまいました。島秋人は、そういう人でありました。

 

●「絵は下手だけど構図がよい」

 

死刑囚になった島秋人は、自分の幼少年期を思い起してみても、褒められた体験がほとんどありませんでした。その幼少年時代の記憶の中から、ただ一度だけ誉められたことがあったのを、ひじょうになつかしく想い起しました。

 

それは、島秋人が中学1年生のときです。近くのお地蔵様の絵を描いたところ、中学校1年のときのクラス担任であり、美術の先生であった吉田先生が、その絵を見られて・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・(この後も、原稿は続いています。)・・・・・・・・・・・

 続きは、とね臨床心理士事務所から出版しています、CDブック第1巻「森田理論で神経質は幸せになれる」でお読みください。

 

 

 

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