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2  子供が話してくれる聴き方・・・・・・・・・・・いじめられているのに、なぜ相談してくれないのか? どう聴けばよいのか? 

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 子どもが話してくれる聴き方

 

          いじめられているのに、なぜ相談してくれないのか?どう聴けばよいのか?

 

とね臨床心理士事務所 カウンセリング・オフィス「ZEN」主宰

臨床心理士 / 自律訓練法認定士  刀 根 良 典

 

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(PTA研修会の席上で、保護者から出た質問にお答えする形でお話ししたものです。)

子どもは成長の過程で、自分一人では解決の難しい様々な悩みに直面します。そんなとき、親や教師は、目の前の子どもとどう関わり、どう応えていけばよいのでしょうか。子どもの相談に乗ることは簡単に見えて、実際にやってみると、思いのほか難しいことを痛感させられることも、しばしばあるのではないでしょうか。

 

そこで、今日は、いじめの相談を例にして、一般的にどのようにすれば子供たちが、悩み事を相談してくれるのか。また、もしも子供から相談されたときに、どの様なことを心がけて対応すればよいか。これらのことを、この場にお集まりの皆様方と、ご一緒に考えてみたいと思います。

 

  相談と一口に申しますが、これにはカウンセラーという相談の専門家がおります。心理学を専攻し、長年にわたって研修を積み、やっと一人前のカウンセラーとしての仕事をすることができます。このように、心に悩みを持つ人の話を聞く、相談に乗るということは、大変難しい専門的なことでもあります。

 

  ここでは、そのような専門的な分野の相談ではなく、いわゆる日常生活で遭遇するレベルでの悩みに対して、どのような姿勢で相談を受ければよいかということを中心にお話したいと思います。

 

  カウンセラーやセラピスト(心理臨床家)が扱うような相談ではなく、いわゆる普通のレベルの悩み事であれば、ちょっとした原則をふまえていれば、私たちにも十分対応することができます。今日は、そのときのポイントをいくつかお話したいと思います。

 

    ●どんな場合に気軽に相談できなくなるのか

 

ということから、お話したいと思います。

 

  いじめを受けても、いじめられたことを子供たちは、なかなか話してくれないことが多いと言われています。その理由の一つには、

 

    ●言うと「いじめ」が、ますますひどくなるのではないか

 

という恐怖を抱いていることが考えられます。例えば、いじめの中で脅されている場合があります。「先生に言ったら、今日の二倍いじめるぞ!  親に言ったら三倍だぞ!  いいか、警察にチクッたら一○倍だぞ!」というような脅しを受けている場合、子供は恐怖感から、いじめられていることを言えなくなります。

 

そのように、いじめの加害者から報復されるという恐怖が強い場合には、相談できなくなることが考えられます。

 

つまり「いじめ」の被害を受けている生徒が、学校にいじめの事実を告げても、問題解決への有効な対策が取られず、むしろ、相談したことによって、かえっていじめがひどくなるのではないかというふうに思い込んでいる場合があるのではないかということです。それから、これと似ていますが、誰か大人に相談することによって、

 

    ●仲間外れになってしまうことを心配している

 

場合もあると思われます。いじめの多くは知らない同士で起こるのではなく、学級集団や遊び仲間の中で起こるのがほとんどです。ですから、いじめられていることを口にすることが、結果として仲間を売ることになるのではないか、ということを気に病むわけです。

 

また、いじめられていることを知らせることによって、仲間外れにされてしまったり、仲間から、ますます無視されるのではないかという恐れをいだき、これがために誰にも相談することができない状態に追い込まれているわけです。

 

  これには、私は、事実で示してあげたいと思うのですが、現実には、相談をした方が問題は早く解決すると思います。いじめられていることを学校の先生に相談して、よけいに悪くなるということは全く無い、と断言することはできないかも知れませんが、結果としては相談した方が早く解決すると思います。

 

  また、解決が難しくなってから相談するより、兆しの段階で相談をした方が、その後の対応も比較的に簡単であると思われます。そこで、ご家庭で、お子様がいじめの被害を受けていることを発見された場合は、担任や担当の先生に、早目に相談されることを、お勧めします。

 

他にも、学校では、校長先生や教頭先生も相談にのってくださると思いますし、教育委員会や警察にも相談の窓口があります。また、電話、手紙、ファックス、メール等による相談も開設されています。これらは、本名を言わなくても匿名で相談できます。このような情報を子供にも熟知させておくとよいでしょう。

 

  子供が相談しない理由として考えられることの三つ目には、

 

   ●いじめられた辛い場面を思い出したくない

 

と思っている場合があります。いじめの被害を受けた場合、そのことが、心の傷(トラウマ)になってしまうことが多いと思います。したがって、いじめの事実を、口に出せるということは、少し気持ちが整理されるまで時間がかかるわけです。

 

  ですから、あまりにいじめられたときの記憶が生々しいときには、それを口にできないということがあると思います。相談することによって、ショッキングな場面を心の中で再現しなければならないということは、子供によっては、とても辛いことなのです。

 

ですから、相談がいつのまにか聞き取り調査のようになってしまい、事実を洗いざらい話させるというような対応になってしまうと、被害を受けた子供にとっては、相談したために、二重のトラウマ、心の傷を負うことになってしまう危険性が考えられます。相談を受ける人は、こういうことにも十分配慮していかなければいけないと思います。

 

  四つ目ですが、今日はここを強調したいと思います。それは、いじめられていることを

 

    ●相談することによって自尊心(プライド)が傷つけられることを恐れている

 

ということもあるかも知れません。いじめられていることを認めることへの、こだわりが幾人かの子供にはあると思います。それも、小さい子供よりも小学校高学年、中学生に多いと思います。

 

  子供の意識の中に、いじめられる人間は弱い人間である。弱さというのは悪いことなのである。弱さは恥ずかしいことなのである。人間として望ましくないことなのである。このようなステレオタイプな考え方があり、また、そのような考え方に支配されているならば、自分がいじめの被害を受けていることを、自分で認めることができなくなります。

 

  これは、子供の考え方の問題というよりも、私たち大人の意識の問題であるかもしれません。今まで日本の社会が、表向きはともかく、本音の部分で「優しさ」「思いやり」よりも「強さ」「たくましさ」「能率のよさ」こういうことを追求してきた。あるいは、他人には「優しさ」「思いやり」を求めながら、自分や自分の子供には、そんなことよりも「わんぱくでもいいから、たくましく」と願う、身勝手な考え方の結果だと感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 

  強い人間、たくましい人間、能率のよい人間、このような人間だけで社会が構成されたならば、いったいどうなってしまうのでしょう。若いうちはいいですよ。でも、誰でも歳をとりますから、いつまでも若いときのように「強く」「たくましく」「能率よく」とは、いかないのが事実です。

 

人間は、誰もが歳をとれば、弱者の立場に置かれます。これは早く来るか、遅く来るかの違いだけであって、ただ時間の問題なのです。私たちが今後、追求していく価値は、本音のところで、一体何であるのか。これは私たちがもう一度、考え直さなければいけないことだと思います。

 

  「強いばかりが男じゃないよ」という言葉もありますが、男性に限らず女性も含めて、時に人間は弱くあるということは、大変大事なことで、そういう経験があるからこそ、他の人の心の痛みが分かるわけです。

 

ですから、「強さ」「たくましさ」「能率のよさ」だけではなく、「優しさ」「思いやり」をもう一度、建て前ではなく、本音で再評価する時期に来ていると思います。さもなければ、日本の社会は、「いじめ」の蔓延する、とても住みにくい所になってしまうと思われます。

 

  また、「強さ」「たくましさ」「能率のよさ」これらは、相対的なものですから、集団の中で自分よりも「弱い」立場の者を意図的に作って、その人を攻撃したり、侮蔑したりすることによって、自分の集団内でのポジションを守ろうとする。こんなことが起こっているかも知れません。

 

何かの理由を付けて、自分より、立場の弱い者を攻撃することによって、相対的に自分の強さ・優秀さを確認し、存在感や安心感を取り戻そうとする。「いじめ」には、このような心理的な「からくり」も指摘することができるでしょう。

 

  それから、いじめを解決するために、

 

    ●昔いじめを受けたけれど、それを跳ね返した

 

という事例を、みんなでキャンペーンすれば、今いじめられている子供も強くなってくれるのではないか、という意見を、ある方からうかがったことがあります。

 

  これは、一部の子供には救いになることがあるかも知れませんが、無力感の中に苦しんでいる子供に、「強くあれ」というメッセージを出すということには、危険な場合があります。

 

生きていくエネルギーが今にも切れそうで、自分ではどうしようもない、自分で自分を支えることが難しい状態になっている子供に、なおかつ「強くあれ」というメッセ-ジを出すと、その子は本当に追い詰められた気持ちになってしまいます。

 

  ですから、このような場合は、生命力が回復するまで、ゆったりと休息をする方がよいと思います。あせることはありません。人間には自然治癒力が備わっています。生きていさえいれば、必ず回復する力が徐々に湧き上がってきます。

 

ですから、「今、慌てて何かをしなくてもよいから、ゆっくり休んで気力が回復するのを待ちましょう。」「もうあなたは一人じゃない、私たちが守る。だから、今はゆっくり休みましょう。」というメッセージの方が、「強くあれ!」「自分の力でいじめを跳ね返せ!」というメッセージよりも、ずっと救いになると思います。

 

  これは子供に限らず大人にも言えることです。大人でも、非常に辛いことが持続しますと、うつ状態に陥ってしまうことがあります。もしもご主人が、精神的に落ち込んでしまわれた場合は、ご家庭での奥様の対応がとても大事になります。

 

その時には

「人間は誰でも疲れるときがあります。今、無理をして、そんなに頑張らなくても、挽回できるときがきっとありますよ。」

と言って差し上げた方が、回復は早いと思います。

もし、何かの拍子に、奥様が落ち込んでしまったときには、今度は、ご主人の方が奥様に同じように言って差し上げるとよいと思います。

 

  うつ状態に陥ってしまった人を、決して励ましてはいけない。あせらせてもいけない。こういうことは子供に限らず、大人にも、とても大切なことだと思います。

 

  五番目に、お子さんが相談しない場合として、

 

    ●相談したらお説教されるのではないか

 

と心配していることが考えられます。

 

  相談を受けたとき、専門家と私たち素人と、どこに違いがあると言いますと、プロは決して軽はずみなアドバイスをしないのが普通です。

 

ハッパをかけたりもしません。慌てないのです。素人は、すぐあれをしなさい、これをしなさい、こう考えなさいとアドバイスを始めたり、自分の見解を相手かまわず押しつけ始めます。

 

そのアドバイスは、常識の範囲内の悩みには当てはまりますが、本当に相談が必要になっているときには、世間一般の常識の範囲を越えているわけです。したがって私たち素人のアドバイスは、あまり役に立たないことが多いのです。そこで、むしろ私たちは、相手の話すことに、じっくり耳を傾けた方がよいと思います。

 

  相談をしたら、逆にお説教されたり、相談した量の三倍くらいの分量のアドバイスの言葉が返ってきた。それでは非常にまずいわけです。

 

  あるいは、相談したときに、「君にも悪いことがあるよ」とか、「君は、そういうところを変えなければ、いじめられるよ」とか言われますと、「ああ、相談しなければよかった。」  「もう二度と相談しないぞ。」という具合になってしまいます。

 

  もしも誰かから相談されたら、すぐに指示したり、お説教を始めないで、話をよく聞くことに徹することの方が、相手の方には救いになることが大きいと思います。

 

  それから、六つ目は、相談することによって、

 

    ●人に知られたくないことまで、暴かれるのではないか

 

という恐れがあると、相談できなくなると思います。

 

自分の心の秘密を、他人に話すということは、よほど相手を信頼していない限りできないことです。逆に言うと、相談を受ける方も、根掘り葉掘り質問して聞き出そうとしないで、相手のペースに合わせて、相手の話すことを、じっくり聞いてあげるというような、ゆったりした気持ちで相談を受けたほうがいいと思います。

 

  相談をされたとき、
「よし、この人は何が原因で悩んでいるかを分析してみよう。」
というような調子で、ぐいぐいと相手の気持ちを探っていくようなことをしますと、心の奥の方まで侵入されるような気がしてきて、相談に恐怖を感じることにもなりかねません。相談を受ける場合には、そういうところへの配慮が必要になると思います。

 

  また、守秘義務といいますが、相談の秘密は守るという姿勢が大切です。この人には、相談してもいいなと感じさせる人とは、話の上手な人ではなく、口の堅い人なのです。

 

相談の内容を日常的な話題の中には決して出してはいけません。また、来談者の秘密を守るということからも、相談は誰にも立ち聞きされないところで行われる必要があります。

 

  七番目ですが、心優しい子供に多いケースだと思いますが、

 

    ●親に心配をかけたくない、迷惑をかけたくない

 

と考えている場合もあるわけです。こういう心優しい子供は、親に過剰な心配をかけたくないということで相談しないことがあると思います。

 

  こんな時は、「ただじっと我慢することがよいことではないし、あなた一人が苦しめばよいというものでもない。家族の悩みはみんなで分かち合っていこう。みんなでよい知恵を出し合っていこう」というような感じで、家族の問題をみんなで考えていけるような、そのような温かい家庭の雰囲気というのが、とても大事になると思います。

 

    ●思春期にある子供は、大人には、すぐには心の秘密を相談しない

 

ものだということも挙げておきたいと思います。

 

現在、保護者である皆さん方も、中学生の頃、いろいろな心配事を親や先生に、気軽に相談できましたでしょうか。できなかったのではないでしょうか。例外はありますが、自分のことを大人には相談しづらいというのが、思春期という時期の特徴の一つなのです。

 

思春期は身体や心が、大きく変化していく時期であります。自分で自分の変化のスピードに適応することが大変な時期が思春期でもあります。自分の身体や心の変化を、なかなか受容できない時期であります。

 

日に日に変わる自分の身体に、違和感や劣等感を持ちやすい時期でありますが、中学生の頃は、それをなかなか口にできないと思います。高校生の後半になったころ、やっと人に話ができるということも多いのではないでしょうか。

 

  ですから、私たち親や教師は、中学生の頃は自分からは、なかなか相談してくれないものだ、という前提でいた方がよいかも知れません。それだけに、もしも、相談されたときには、丁寧に応じていく必要があると思います。それに加えて、常日頃から相談しやすい雰囲気を、家庭や学校の中に醸し出しておくことも大切なことだと思います。

 

 いただいた質問「いじめられているのに、なぜ相談してくれないのか?」から、今、思いつくことを、八つほど挙げてみました。この他にも、大事なことが落ちているのではないかと思いますが、とりあえず、私の頭に想い浮かんだことをお話いたしました。

 

続いて、相談の受け方、話の聞き方についてお話したいと思います。相談を受けた場合の留意点として、

 

      ●性急に、あせって、聞き出そうとそうとしない

 

これがとても大切なことです。

 

何があったのか。誰が関係しているのか。どこで、どんなことが何回あったのか。というようなことですね。要するに、いじめの事実・出来事を早く把握しようとするあまり、被害を受けた子供の心のケアーを忘れてしまうという場合に起こりがちです。

 

  学校の先生方にもよくお話するのですが、子供からいじめの相談を受けたときに、早く報告をしなければいけない、早く対処しなければいけないとあせらないように。相談を受けた側があせってしまい、何が、どうして、どうなった、それから誰が出てきて何をしたのか、そういう出来事だけを聞くようにしてしまいますと、子供は相談したことによって、また心に傷を受けるわけです。

 

  相談を持ちかけている側は、何をして欲しいのでしょうか。普通、一番求めているのは、自分の訴えをしっかり聞いて欲しいということではないでしょうか。まずは、話を聞いてもらうことによって、胸のつかえを取り去り、気持ちをスーッとさせたいわけです。事実だけでなく気持ちを分かってもらいたいのです。

 

  そこで、自分の都合だけで事実関係を性急につかもうとしないで、相手の気持ちになって、話されることを、ゆったりと聞いてあげるように心がけます。そうしていますと、聞いてる間に、ここが分かり、ここが分かり、ここが分かりしていって、だんだん起きた事の全貌も自然に掴めていくわけです。だから、あせらないことです。

 

  まず子供の気持ちに焦点を当てて、今この子はどんな気持ちでいるのだろうか、こんなところが辛いのかな、という具合に話される内容を共感的によく聞いてあげるようにすることです。つまり「聞く」ではなく「聴く(傾聴)」なのです。

 

  「聴く」というのは、事実を調べるのではなく、心を共感させる努力をすることであります。

 

子どものときに、二つの音叉を共鳴させる実験を学校の理科の時間にされたことがあると思います。こちらで片方の音叉がポーンと鳴りますね、そこに同じ振動数の音叉を近付けますと、叩かなくても鳴ってきます。「聴く」というのは、イメージとしては丁度そのような感じです。

 

  子供の感じていることが、こちらにも伝わってくる、そういう共鳴するようなやり方です。そのためには、性急に聞き出さないで、まずは何の話でもいいですから、話したいことを話してもらうことです。

 

  その話を、相手の心の動き、感情の流れに合わせて、ちゃんと最後まで聞いてあげることです。途中で「あ!これはこうだな」ということに気付いても、その話の腰を折らないようにして、とにかく話をする人のペースに合わせて聞くようにします。

 

  すると、話をすることによって、カタルシスというのが起こるわけです。要するに、話を聞いてもらうことによって、気持ちが「ス-ッ」とするわけです。心のわだかまりを全部吐き出せるような機会を作って差し上げるということです。

 

    ●子供の心の動きに合わせて、ゆったりと最後まで話を聞く

 

  これも大切な心がけです。そのためには、質問攻めにしない。「どうしたの、それで誰が出てきたの、何があったの」というような感じですかね。こんなふうに質問攻めにしないで、まず相手の話すことに合わせて、一緒に流れていくような感じで、話を聞きます。

 

    ●軽はずみな批判は慎む、大人の規範で、話の内容を裁かない

 

  話の途中では、批判がましいことは、慎むようにします。例えば聞いていると「あ-これはまずいのではないか」とか、大人の価値観で考えると批判したくなること、一言言いたくなることもあると思うのですが、それを話の途中でピシャッと言ってしまうと、子供は後の話ができなくなります。

 

  自分が話をしたことによって、

 

    ●また、お説教をされるのではないか

 

という心配が、頭をもたげてきて再び殻に閉じこもってしまいます。つまり、大人の規範で話の内容を、相談中に裁かないことです。話したことの是非善悪を大人の尺度で裁かれますと、それ以上は話したくなくなりますし、実際に話せなくなってしまいます。

 

  それから4番目に、話に合わせて

 

    ●適切な相づちを打つ

 

ようにしてください。

 

「ウン。ウン。」でもいいですし、「ああ、そうなんだ。」でも。いですし、「ホ-」でもいいですし、相手に不愉快でなければ、何でもいいです。

 

  なぜ相づち打つかといいますと、それは、あなたの話をちゃんと聞いていますというサインをこちらが出す。そのためでもあるのです。

 

  相づちを打たないで黙っておられると、話をちゃんと聞いてくれているのかどうなのか、不安になってくるわけですね。そのためにも、うなづいたり、相づちを打つ必要があるわけなのですね。簡単なことに見えますが、これがやはり大事なことだと思います。

 

  それから

 

    ●キーワードを繰り返す

 

ことです。

 

例えば「これ、これ、こういうことで、その時、とっても辛かったんです」といったら「辛いんだね。」とか「辛かったんだね。」と、キーワードを繰り返します。「とても悔しいことがあったんです」といわれたら「ああ、とても悔しかったんだね」というふうにキーワードを繰り返すことです。

 

  そうしますと、その子は自分の話が相手に伝わっているかどうか、また、自分の気持ちに沿った話ができているかどうか、自分が何を感じているのか、ということ等をふり返りながら話をすることができるわけですね。

 

  それから、学校現場では、児童理解とか生徒理解とか言いますが、私は、理解するということは、相手のことを分かってあげるということではない、と思っています。

 

    ●来談者にとって、本当の救いになるのは

 

相手のことを分かってあげることではなく、分かろうとしてくれる人がいる、ということなのです。極端なことを言いますと、現実には、どんなに一生懸命に話を聞いても、相手のことを完全に分かることはできません。自分で自分の心が分からないことすら多いのに、どうして、他人の心が完全に分かるなどということがあるでしょうか。

 

  しかし、相手の心を理解することはできなくても、理解しようと努めることはできます。だから、あなたの言っていることを、私は一生懸命分かろうと努力しているという姿勢を伝えることが大事なのです。

 

自分のことを理解しようとしてくれる人が、この世に一人でもいてくれるんだということが、私たちの救いになるのです。必ずしも全部分からなくてもいいから、分かろうと努めて差し上げるということがとても大事なことです。

 

  それから、先ほどもお話をしましたが、相談の途中で話の腰を折ったり、お説教をしたりすることが、なぜあまり効果がないのかと言いますと、話をすることによって自分の中の積もり積もった気持ちを、スーッとさせたいわけなのです。

 

  ですから、途中で話の腰を折ると、心に積もったものが吐き出されずに残ってしまうわけです。だから、話の腰を折ったり、お説教を始めないで、ともかく相手が言いたいことは全部話をしてもらうわけです。そのようにして、本人が十分満足するまで話をしてもらうようにします。そうして、気持ちを楽にしてもらう。そうしますと、解決方法も案外と自分から気づいていくものです。

 

  それから、

 

    ●アドバイスよりも、一緒に考え一緒に答えを見つけ出す姿勢

 

で臨んでいったほうがいいと思います。

 

大人が正しい答えを一方的に子供に与えるよりも、お互いに二人で共同作業をして、これからどうしたらいいか、あるいはこの問題をどう解決していったらいいかを一緒に考えていこう、という姿勢の方が子供には救いになることが多いと思います。

 

  それから、すぐ答えを与えるよりも、「あなたなら、これをどうしたい?」「あなたは、どんな方法があると思う?」というふうにちょっと聞いてみるということですね。

 

  それから、課題への対処の方法を  一つだけではなく幾つも出してみるようにします。もしも、こちらから提案をしてみようとするときには、「こんな方法でやりなさい」と一方的に指示するのではなく、「こんな方法も考えられるけれども、あなたどう思う?」というような提案の仕方をしたほうがいいと思います。緊急事態の場合は別ですが、相談するゆとりのある場合、普通は、このような方法で大丈夫だと思います。

 

  課題に対する対処の方法を、二人で考えられるだけ出してみて、その中から、まず一つを選び出して試してみましょう。この方法でうまくいかないときには、また別な方法もあるんだし、というようなやり方でいくということですね。

 

とにかく、話の途中で話の腰を折らないで最後まで話を聞いてあげ、そして二人で一緒に考えていくということですね。

  最後に、この件について、

 

    ●何度でも話し合うことができる

 

ということを伝えていくということですね。

 

一度で解決しなければいけない、というふうに思わないで、相談というものは一度で終わるわけではなく、何度でも継続していくことができるし、これからも良い方法を考え出していくことができる。解決方法は一つだけでなく幾つもある、ということですね。

 

  そして、課題が解決するように、いろいろな方法を、これからも二人で一緒に探していきましょう、というふうに、将来に対して明るい見通しが持てるよう働きかけていくことも大事なことだと思います。

 

  長々と早口でお話しましたが、今日の話の中に、お子さんとの日頃の対話の中に生かすことができるような、何か子育てや生徒指導のヒントになるようなものが一つでもありましたら、幸いでございます。ご清聴ありがとうございました。

by Konomachi Inc.