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14 神経質の悩みと心のからくり (養護教諭の先生方を対象にした研修会でお話しした講演記録です。)

 神経質の悩みと心のからくり

とね臨床心理士事務所 カウンセリング・オフィス「ZEN」

臨床心理士 / 自律訓練法認定士  刀 根 良 典

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●はじめに

森田療法の研究をはじめて、今年(2014年)で、もう40年が経過しました。私は教育者であって医師ではありませんので、森田療法を教育との関連で学んできました。その間に、様々な心理療法も学んできましたが、森田療法は、様々な心理療法の中でも別格である、との感を強く持っています。

 

森田療法は、「事実唯眞(事実のみ真実である)」という極めて科学的な枠組みの上に打ち立てられていますので、誰でもすぐに納得でき、その日から実践できる、極めてシンプルなものです。また、森田正馬全集も刊行されていますので、すぐに学び終わってしまいそうな気がします。

 

ところが、いったん研究をはじめてみますと、その奥深さに今更の如く目を見開かされる経験が、40年が経過した現在も続いています。学べば学ぶほど、その奥深さを教えてくれるのが「森田療法」です。

 

「森田療法」は理論的・専門的に難しく展開するならば、いくらでも難しくできますが、易しく展開しようとしたら、これまた、いくらでも易しく展開できます。そこで、理論的に精緻な展開は、他の専門家の先生方にまかせて、ここでは、できるだけ易しく学んでいくように心がけたいと思います。

 

CDブック1の第1章は、小中学校の生徒指導や教育相談担当の先生方と養護教諭の先生方に、お話した講演から原稿にしたものです。ストレスの多い教育現場で日夜、子供たちのために奮闘している先生方を支援することを目的の一つにしています。十分とは言えませんが、「森田療法」の考え方を、教育場面に活用するときのヒントになるように心がけたつもりでいます。

 

1 神経質の悩みとは、どのようなものか

神経質の悩みについて一般向けに書かれた本から、通常、よく見られる例を紹介して、今日の話の導入にしたいと思います。

 

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「本年四月、地方工場技術部門の係長から、本社営業部の課長に昇格して、転属しました。しかし私は、商品に対する知識は豊富ですが、はたして作るということはできても、売るという行為に変わって、しかもこの不況期に自分は一ランク上の課長として、職務をまっとうできるのかという潜在的な不安は常に持っていました。 そこの部署は、社内でも優秀な若い社員が多く集まり、抜群の販売の知識と能力を持つ人材が多いと聞いていました。そんな課の頂点にいるものの、実際は私よりも部下のほうが仕事ができて、本来教育すべき立場なのに、逆に教育されてしまうのではと不安でなりません。近頃では、部下との会話もほとんどなくなり、適切な指示も与えられません。ある朝、出勤時にエレベーターの中で部会に会いましたが、挨拶もなく横を向いたままで全く無視をしています。何か部下にも黙殺され馬鹿にされているような気がしてなりません。」

出典:長谷川和夫著 「マイナスの心をプラスに転じる法』 ゴマ書房

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人事異動により、新しいポストに着いてはたしてうまくやっていけるか、回りの人々が自分をどのように評価しているか等が過剰に心配になり、転勤をきっかけに職場適応で悩み始める人も出てきます。一般によくありがちなケースではないかと思います。

 

このような状態が高じてきますと、会社に行くことが苦痛になってきます。そのため長期間、会社を休んでしまったり、会社を辞めたりということも起こりがちです。

 

神経質傾向のある方の陥りやすい悩みには、この昇進恐怖の他にも、様々なタイプの悩みがあります。では、これから、神経質な性格傾向のある方が陥りやすい、様々な悩みについてもう少し紹介していきましょう。

 

  • 頭重へのとらわれ

 

頭はいつもスッキリと冴えているべきだ。そうでなければ勉強の能率も上がらない。そう思っていると、最近、いつも頭にお椀を被ったように重い感じがしてきて気になる。

 

気になるので病院で診てもらうが、結果は「異常なし」。その検査結果を聞いても、安心できるのは数日だけで、しばらくすると、医師が誤診をしているのではないかと不安になり、別の病院で検査するが、何度検査しても異常は発見されない。

 

その後も、心配のあまり何度か病院を変えては、検査をしたが、どこでも同じ検査結果だった。頭が重い感じがして、スッキリしないのに、本当にどこも悪くないのだろうか。いつも頭重の事が気になってしかたがない。

 

このような悩みにとらわれる方がいらっしゃいます。このような悩みにとらわれておられる方の訴えを聞いたことがありますが、頭に何か独特の重みがあるように感じると言っておられました。昔、鉄の鋼釜というものがありましたが、それを頭に当てられて、ぎゅっと締めつけられたような、そんな感じがする、というようなことを話しておられました。この方は、ある自助グループの森田理論集団学習で悩みを解決されました。

 

  • 胃腸へのとらわれ

 

胃がもたれる。食べると吐き気がする。グーグ-と腹が鳴る。というような悩みを訴えます。その悩み訴えて、実際に身体に病気がある場合は、神経質症とは言いません。病院で、何度も検査をしたりしたけれど、身体的にはどこにも異常が発見されない。それなのに自分では、どうも調子がよくないような感じがしてきて、気になる。

 

普通は、「どこにも異常がありません」と言われれば、「あ-。よかった」と安心をします。このタイプの人は、医師から「どこにも異常がありません」と言われても、「医師が、何か重大な病変を見落としているのではないか」と心配するあまり、別の病院に行きます。

 

別の病院で検査しても、もちろん身体には、どこにも悪いところがないわけですから、当然、「異状なし」と言われます。それでも安心ができない。あるいは、その日、一日は安心をするけれども、次に日になると、また非常に不安になるのです。そのため、次々と病院を変えては、ドクタ-ショッピングという状況になります。

 

後で、お話しますが、これは心のからくりから起こっていますので、医学的な検査をしても異常は出てきません。検査で器質的な異常がある場合は、本当の身体の病気ですので、神経質症ではありません。

 

  • 書痙、職業性痙攣

 

手が震えて文字が書けない。理髪士さん、美容士さんの中にも、この症状にとらわれてしまい、剃刀を持つと手が震えて、お客さんの顔が剃れないという、深刻な情況に追い込まれる人もいます。震えまいとすればするほど、余計に震えてしまうという困った状況になってしまいます。これも医学的な検査からは器質的な異常が見つからないのに、心のからくりから、このような状態になってしまいます。

 

  • 頻尿が気になる

 

何回トイレに行っても、またすぐ行きたくなる。病院で検査をしても、身体的には、何も異常が発見されない。誰でも緊張するとトイレが近くなりますが、その程度が、本人が悩むくらいに大きくなります。

 

  • 身体の健康状態が気になる

 

人間ドックなどに行って、検査結果が「再検査」や「要精密」というような結果になれば、次の検査のときまで、誰でも、気分はよくありません。

 

しかし、中には、検査結果が悪かったというだけで、自ら食事制限をしたり、ショックで寝ついてしまったり、病人のような生活をしてしまう方もいます。再検査の結果、異状なしとなっても安心できず、また検査に行きたくなってしまいます。

 

  • 対人恐怖

 

人前で過剰に緊張をしてしまう。人の視線が気になる。人前で赤面する。動作がぎこちなくなる。視線のやり場に困る。自分の視線が、相手を不愉快にさせるのではないかと悩む。顔がこわばって人を不愉快にしてしまう等、様々な悩み訴え、そのために人前に出ることを恐れる。このようなタイプの悩みです。

 

  • 疾病恐怖

 

癌、高血圧、エイズ、ハンセン氏病、精神病、等になるのではないか、あるいは、もうなっているのではないか、と恐れおののき、ついには仕事も手につかなくなってくるという悩みです。

 

  • 不完全恐怖

 

戸締まりやガス栓などを、何度も繰り返し調べなければ気が済まない。ポストに手紙を入れた後も、本当に入ったかどうか不安で何回も確認する。何事にも完全完璧を求める傾向が強くなってしまい、日常生活に支障を来します。

 

  • 雑念恐怖・雑音恐怖

 

雑念や雑音が気になって、仕事や勉強に集中できないということに、悩んでいるものです。

 

  • 不潔恐怖

 

大小便の後、手の不潔感が気になって何回となく手を洗わないではいられない。一旦、手を洗いだすと、石鹸で何回も何回も洗ってしまう。自分では馬鹿馬鹿しいと分かってはいるのだけど、気になってしかたがない。このような悩みです。

 

  • 縁起恐怖

 

数、道順、方角等に縁起を担ぐことに過剰にとらわれると、縁起恐怖になります。例えば、ある日、たまたま、意識して右足から家を出たときに、何かすごくいいことがあったとします。そこで、次の日も、また次の日も、家を右足から出たら何かいいことがあるのではないかと思い、それを繰り返しているうちに、毎回、右足から家を出ないと、何か悪いことが起きるのではないかという不安にとらわれるようになってしまったという人がいます。

 

この方は、外出時、自分が右足から家を出たことに確信が持てない場合、もう一度家に戻って、右足から出直すということをされるようです。

 

  • 縁起恐怖その二・・・縁起のいいワイシャツ

 

また、別の事例では、自分には縁起のいいワイシャツがあり、大事な人に会わなければならないときや、難しい仕事をしなければならないとき、そのワイシャツを着ていくとうまくいくという方がおられました。 ある日、大事な人と会って、難しい商談をまとめなければならなくなりました。そこで

 

「よし!  今日は、あのワイシャツを着て行こう!」

 

と思いました。

そして奥さんに、

 

「あの縁起のいいワイシャツを出してくれ」

 

と言いました。

ところが、その方の奥さんは丁度、洗濯中で、

 

「そのワイシャツは、今、洗濯機の中で回っています」

 

と答えられました。

 

普通、そのような場合は、いくら気にいったワイシャツであったとしても、着ていくのは諦めるのが普通だと思いますが、その方は、どうされたかといいますと、そのワイシャツを脱水機にかけて、半分濡れたままで、会社に着ていったということです。縁起にとらわれると、人によっては、ここまでやってしまう方もおられます。

 

この話だけ聞くと、「どうしてそんなことにこだわるの?」という不思議な感じがするかも知れませんが、私は、この方の気持ちも分かるような気がします。この方にとって、あるいはこの方の勤める会社にとって、このときの商談は、失敗の許されないくらい、相当に大事なものだったのでしょう。なんとしてでも成功させたい、縁起のいいシャツへのこだわりは、その気持ちの表れだったのかも知れませんね。この方の奥様からは呆れられるかも知れませんが、人に迷惑がかからなければ許容の範囲でしょう。そのくらいの見方をした方がよいかも知れませんね。

 

  • 唾液恐怖

 

唾液を飲みこむと、耳元で大きな音がして、その音が周りの人を不愉快にすると悩んでいます。あるいは、唾液が口中に溜るのが気になってしかたがなくなり、いつ飲み込もうか、あるいは吐き出そうか、そのことばかり考えてしまう。そのような悩みです。

 

  • 眼鏡のホコリ恐怖

 

眼鏡のゴミや光の反射等が気になって仕事ができないという悩みです。眼鏡をかけていますと、誰でもホコリが気になるときがあります。普通、一度拭けばきれいになったと、それ以上ホコリを問題にすることはありません。しかし、この悩みにとらわれた人は、何度拭いても、眼鏡のホコリが気になってしかたがなくなります。そのため、繰り返し、繰り返し、眼鏡の掃除ばかりすることになります。

 

  • 鼻の先端恐怖

 

誰でも、視線を落として鼻先を凝視すると、鼻の先端が視界に入ってきますね。僅かですが鼻の先端が見えます。これは誰でも見えているのです。ですが普通は、見えていても意識しないで毎日の生活を送っています。

 

中には、これにとらわれてしまう人がいます。その結果、視界に映る鼻の先端ばかりが気になって、仕事や勉強が手につかない、という状況になってしまいます。

 

  • 心臓の発作が気になる

 

検査をしても心臓には異常がないのに、発作的に心臓がドキドキとして、今にも心臓麻痺で死ぬのではないかという恐怖感に襲われるという悩みです。

 

そうなると、またそのような状態になるのではないかと予期不安が高まり、外出もできなくなってしまいます。

 

普通、心臓に病変があれば、検査で異常が出てきます。ところが、この方の場合、心臓等をいくら検査しても異常が出てこないのです。なぜかと言いますと、心臓の器質的なことで出てくる異常ではなく、心理的なことから起こっているからです。

 

病気でもないのに、心臓が動悸を打つことを気にして、体を動かさないようにしますと、当然、運動不足で基礎体力も低下してきます。そうなると、誰でも、少し歩くとドキドキしたり、息切れしやすくなります。そこで、ますます自分に自己暗示をかけて、本当の病人のようになってしまう、こういう状態になってくることもあります。

 

  • 不安発作による乗り物恐怖

 

それから、例えば電車に乗っているときに、不安な気持ちが高じてきて、電車に乗れなくなってしまう人。エレベーターに乗りドアがしまったら急に不安感が込み上げてきてエレベーターに乗れない人。高層ビルになるとエレベーターもなかなか途中で止まってくれません。そこで、高層ビルに入るのが、苦痛でしかたがなくなる人。このようなことで悩む人もいます。

 

 

2  学校で発生しやすい神経質の悩みのあれこれ

  • 人前で視線を合わせることができない

 

視線恐怖で、人前で視線を合わせることができない。目と目が合ってしまうことに過剰にとらわれてしまう。あるいは、人とは必ず視線を合わせなければならないと、強い思い込みを持っているために、人と会うのがつらくなってしまう。このような悩みを抱く方も結構多いです。

 

私の知人のある方は、大学生の頃、授業に出席するとき必ず一番前の机に座るようにしていました。何故かと言いますと、後ろですと、自分の前に人が大勢いますから、視野に写っている他人の視線が気になってしまうのです。そこで他人が視界に入らないように、教室の一番前に座るのです。

 

ある日の授業中、たまたま隣に座った人が、横を向いて自分と顔を合わせるのを避けているような気がしてきてしかたがなくなりました。自分と視線を合わせるのが嫌だから、不自然に横を向くと思い込んでしまっていました。その方は、かなり思い込みが強く、なかなか、とらわれから自由になることができませんでした。

 

しかし、その人の話を、よく聞いてみますと、分かりました。何故、そのような状態になったのかが。つまりそれは中学生のときに始まっているのです。

 

  • 荒れた中学校で脅され、視線にとらわれる

 

その方が通っていた中学校には、非行のグループが形成されていて、おとなしい子なんかを脅すわけです。その時の脅し方が、

 

「てめ-、眼をつけたな!  眼をとばしただろう!」

 

と、こう言って脅す訳です。

 

つまり、暴力的な生徒と目が合ったときに、自分の方を見ただろうと、急に脅されるわけです。 目が合うたびにそれを言われるわけです。

 

よく考えてみますと、「眼をとばした」と因縁をつけている訳ですから、脅している方にも、多少なりとも視線を気にする傾向があるわけなのですが、脅される方にしてみれば、これはたまったものではありません。

 

何度か、目が合う度に脅されているうちに、この方は、強度の視線恐怖、人の視線が気になってしかたがないという状態になってしまいました。思春期という身体の違和感にとらわれやすい時期と、校内暴力の時期が重なってしまい、まことに気の毒な状態が引き起こされてしまいました。

 

  • 完全主義による読書恐怖の事例

 

ある方の悩みは、本を読むとき、書いてあることが完全に理解できたと確信が持てないと、先のページに読み進むことができないというものでした。本を読んだとき、全部の内容を理解したかどうかを確認しないと次のページに行けない、しだいに本を読むことが恐く、苦痛になるというものでした。

 

我々が本を読みますときには、大体こんなことが書いてあるのかと、内容の半分くらい理解できると、次のページに行きますね。ところが、この方は、一ページ目を読んで、次のページに進むとき、前のページに何が書いてあったか、確認をするわけです。

 

前のページに書かれてある内容を全部理解できたと確信ができなければ、次のページに進むことができなくなってしまいました。そこで同じページを何度も繰り返し読んでしまい、次に進むことができないのです。まるでバグのあるコンピュータプログラムが、無限ループに入ってしまったようです。

 

なぜそのようになってしまうのか。この事例では、きっかけは学校にあるのです。テストが近付いて緊張が高まっているときになってしまったようです。

 

その方の話では、テストのとき、ある先生は常に、本文の内容からだけではなく、欄外の凄く小さいところからも問題を出す傾向があったようです。

 

「テストに出しますから、教科書をしっかりと読んでおきなさい。とくに欄外も要注意です。気を抜かないように。」

 

と授業中に強調します。そして、実際のテストにも、本当に欄外の小さいところから、試験問題を出されるわけです。

 

そうしますと、特に不安度の高い子供は、欄外の小さなことも見落とさないようにしなければならないと、教科書を隅々まで一生懸命見るわけです。ある方は、このような中でとらわれが始まってしまったようです。

 

  • 学校で発生しやすい赤面恐怖の悩み

 

このように、神経質症の発生には、学校要因にからむものが結構あるのです。例えば赤面恐怖の悩みも、授業中に発生することが非常に多いのです。例えば、先生から

 

「○○君、教科書を読んでください。」

 

と、突然の指名があったとします。

 

ところが、○○君は、そのとき、たまたまシャープペンシルの芯が詰まってしまっていて、それを直そうとしている最中でした。そのことに気をとられて、授業に集中していませんでした。先生も、それを知っていて、再度、授業に集中させようという意図もあって指名しました。

 

ところが、そのような心の準備ができていない状態で、突然に指名された子供の、ドギマギ感というものは大変だと思います。

 

ドキドキしながら、周囲の者に、先生は、何ページから読むように言われたのかを尋ねます。それを友達に教えてもらって読んでいるときも、まだ心臓はドキドキしています。当然、顔も赤くなっています。いわゆるあがったという状態です。

 

それを見ていた、一人の子供が

 

「あ!  ○○君。顔が茹でダコのように、真っ赤になっている!」

 

と、ひやかし始めます。

 

それを聞いた回りの子供たちも

 

「あ-!  赤くなった!  赤くなった!  本当に赤くなった!」

 

と、はやし立てるわけです。

 

○○君は、この日の出来事が妙に心に引っ掛かってしまい、次にも、同じ状況になるのではないかと不安になるのです。それで赤面恐怖の悩みの一丁できあがりというわけです。同じような体験をされた方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

 

  • 出席番号による突然の指名で授業中にパニック状態になる

 

授業中に指名するとき、先生が、生徒を名前ではなく、出席番号で指名するので、緊張感が異常に高まり授業を受けるのを苦痛に思うという悩みもあります。学校にいますと、これは結構よく出会うパターンの悩みです。

 

この事例では、授業中に先生が

 

「ではこの問題を誰に解いてもらいましょうか。今日は一二月九日ですね。では、出席番号九番の人、前に出て黒板に解答を書いてください。」

 

と、いう具合に指名されるわけです。

 

指名された人が、理解できているかいないかは、問題にされません。誰が指名されるかは、くじ引きと同じで、まったくの偶然に任されてしまいます。

 

教育は、可能な限り偶然の要素を退けて「意図的・計画的」になされていかなければいけないのですが、この教室では、「意図的・計画的」という言葉は、ほとんど死語同然となっています。

 

本当に授業者としての力量のある教師は、授業に臨む前に、この授業では、どこで誰に指名するかという、指名計画を持って生徒の前に立つのが普通です。そうしなければ、授業に偶然の要素が強く入り込んでしまうからです。

 

偶然でも、学習が深まり、子供たちによく理解できる授業となることはあります。しかし、偶然うまくいったものは、同じ確率でうまくいかないことが起こるのは、統計学の示すとおりです。

 

自分に理解のできない課題を突然に割り当てられ、解答を出すことを強要されるという体験が、教室で度重なって起こったならば、誰であっても、学校や勉強そのものが嫌いになっていくのは当然のことでしょう。

 

先生にしてみれば、授業は適度の緊張感が漂っていた方が、生徒は集中して勉強するだろうと考えて、このようなことを、しておられるのではないかと思います。たしかに、緊張感や集中は悪いことではありません。

 

しかし、学習内容に集中しての緊張感ならばよいのですが、自分が突然、訳の分からない問題で指名されるのではないかということを理由に、悩み・緊張しているのであれば、全くのエネルギーの無駄づかいとしか言いようがありません。

 

不登校の中には、このような学校要因によって登校できなくなる子供もいるのではないかと思われます。学校の先生方にしてみれば、家庭の問題や本人の性格の問題にしてしまった方が、学校や教師の側に責任が回ってこないので、気楽であるかもしれません。

 

しかし、教育を仕事にしている以上、学校要因によって神経質症や不登校が引き起こされていないか、教職にあるものは、日々の教育活動を反省してみる必要があるのではないでしょうか。

 

3  森田療法で直るようになった神経質の悩み

 

さて、先ほど例を挙げたような状態は、約半世紀前までは、一般に神経衰弱と呼ばれていました。現在では、神経衰弱という名称は、トランプの種目くらいにしか残っていませんが、当時は、神経が衰弱して、先ほど紹介したような状態が起こると考えられていたのです。

 

神経が衰弱しているのだから、職場や学校を休んで十分休息させると治るのではないかと考えられていました。ところが、実際には、そのようにしてもなかなか治らないのです。

 

昔は、こういう悩みについて見るべき治療法というものがなかったのです。こういう悩みに取りつかれてしまったら、社会生活ができなくなってきてしまうことも多かったわけです。本当に廃人同様になってしまう人もいたのです。

 

ところが、ここに日本の精神科医の森田正馬という人が出てきたわけです。この方は、慈恵医科大学の教授だった方なのですが、この方が、何故このような症状が起こるのか、初めて発見したのです。それ以来、このタイプの人の多くは治るようになってきました。

 

それまで、これは病気だと思われていたのです。治さなければならないと思われていたのですが、森田正馬は、これは病気ではないと初めて見破った人なのです。森田正馬は著書の中で、次のように述べています。

 

 「いわゆる神経衰弱、私の言う神経質は病気ではありません。神経の衰弱でもありません。それ故に私は、神経衰弱という病名を否定して、神経質と改めました。それは気のせいで起こるのでありまして、ある偶然の機会から一定の不快の感を気にするようになり、これに執着することから起こります。」

 

つまり病気ではないということは、症状と呼ばれているものは、無理に治す必要がないということになります。

 

それどころか、病気であると考えて、治そうとすればするほど、症状にとらわれてしまうことになります。つまりこういうタイプの人達を、立ち治らせるポイントは、症状を取り除こうとして、無駄な努力をさせないことにあります。

 

症状は「あるがまま」にして、症状と格闘するエネルギーを、社会適応や自己実現へ振り向けていくよう努めていく方が理にかなっているわけです。

 

  • 神経質の症状と呼んでいる現象は、多かれ少なかれ誰にでもある

 

ところが、これは大変興味深いのですが、日本の精神療法の森田療法は、神経質の症状を治そうとしないし、あってもよろしいとするわけですが、西洋の精神療法の多くは、これを異常な状態だというふうに受け止め、それを、取り除くことを行います。

 

ところが森田正馬は、症状と呼んでいる現象は、多かれ少なかれ誰にでもある、だから取り除くことはない、ただ一定の不快な気分や観念に、とらわれてしまって、心が流れない状態にあるのだということを見つけたのです。これは、大変に革命的なことだと思います。

 

現在では、森田療法について解説した一般向けの図書も多数発刊されていますので、軽い方は、それらを読んで日常生活の立て直しをするだけでも改善がみられますが、症状のために日常生活ができなくなってしまった人は、森田療法を実施している所に入寮して生活指導をしていただくのがよいと思われます。

 

ただし、正式に森田療法を受けようと思ったならば、二ケ月間くらいの入寮が必要となります。人によっては、もう少し長くなることもあるようです。

 

また、残念ながら森田正馬が生きておられる間、一部の人々を除いては、この学説はほとんどと言ってよいくらい理解されていなかったようです。やっと最近になって、海外でも高い評価を受けるようになったのです。国外で国際森田療法学会も開かれています。

 

また、森田正馬の後継者である、慈恵医科大学名誉教授の高良武久先生(故人)が森田療法の理論化・体系化を推進され、理解しやすくなったことも大きいと言われています。

 

では、次に、これまでお話してきました神経質の悩みが、どのような心理的からくりで起こってくるのかについて、お話したいと思います。

 

4  神経質の悩みの発生のからくり

 

  • 神経質の悩みの根本には、実生活上の困難な問題がある

 

先ほどの事例で、ある会社の技術畑から営業課長に抜擢され、昇進された方がいらっしゃいました。あの方は何故、神経質の悩みにとらわれるようになったのでしょう。次の記述に注意してみましょう。

 

 私は、商品に対する知識は豊富ですが、はたして作るということはできても、売るという行為に変わって、しかもこの不況期に自分は一ランク上の課長として、職務をまっとうできるのかという潜在的な不安は常に持っていました・・・・課の頂点にいるものの、実際は私よりも部下のほうが仕事ができて、本来教育すべき立場なのに、逆に教育されてしまうのではと不安でなりません。 長谷川和夫著  一九九八年  「マイナスの心をプラスに転じる法』  ゴマ書房

 

誰であっても、職場を変わってしばらくの間は、適応上の強い不安があって当然だと思います。自分が今までやってきたことと違う業種になっていますから、はたしてうまくやっていけるかと、不安にとらわれやすくなります。多くの場合、神経質の悩みの根本には、実生活上の困難な問題や適応上の不安があります。

 

  • 受験期の不安

 

それから、高校生の頃も、神経質の悩みにとらわれることの起こりやすい時期です。何故起こりやすいかと言いますと、一つには受験が目の前にあるわけでしょう。高校一年生くらいのときは、受験はまだ遠い先のような気がしていますが、二年生の夏休み頃になりますと、嫌でも受験の準備をしなければならなくなります。

 

受験の結果、無事に志望校に合格できればよいですが、不合格となってしまったので、やむなく一年浪人生活をしなければいけなくなった。この状態というのは凄く不安な状態になるでしょう。

 

  • 思春期の不安

 

それから思春期独特の不安というものがあります。自分の身体が、日に日に変わっていく。成長というものは望ましいことなのですが、昨日までの自分と違う自分に出合わなければならない訳ですね。変化というものはゆっくりと起こればいいのですが、思春期の身体の変化は、思いのほか急激で、心がそれに追いついていくのが大変です。

 

このようなとき、自分の身体の違和感にとらわれやすいのです。また、自分が周りからどのように見えるか、ということが、異様に気にかかる時期でもあります。

 

この頃の子供たちの中には、眉毛を剃ってみたり、身長を気にしたり、足の太さを気にしたり、鼻が高いとか低いとか、そういうことにすごくとらわれる子がでてきます。

 

自分の身体のことに、いろいろと不安を持ちやすい時期です。ですから、赤面恐怖等も起こりやすいわけです。

 

  • 適応不安

 

不安な時期というものは、何かにすごく困っている。困難に直面している状況であるということです。こういうときに神経質の悩みは起こりやすいわけです。

 

つまり、とらわれの背景には、何か不安を強く引き起こす社会的状況があります。この状態から、今の自分で果たしてやっていけるであろうかと、いう不安が生まれてきます。

 

例えば、先ほどの営業課長さんのように、今までの業種とは畑違いのところにやってきて、しかも優秀な人達に囲まれて、上司として果たしてうまくやっていけるだろうかと、強い不安にかられるという状況です。

 

これは社会適応がうまくできるだろうか、という不安なのです。これが適応不安なのです。

 

  • 部分的弱点の絶対視

 

この状態で果たしてうまくやっていけるかなと思っているときに、心理的、肉体的な誰でもある違和感・不快感を、自分を脅かす致命的な弱点だと、誤って受け取ってしまうことがあります。

 

例えば、時には誰でも感じる心身の違和感というものがあると思います。昨日、睡眠が足りなかったら誰でも頭が重く、ボーとした感じになります。あるいは、昨夜飲み過ぎたら、むかむかしてきますよね。これは病気ではありません。誰でもなるわけです。それから、何かの拍子に心臓がドキドキするということは、健康な人でも起こるわけです。

 

 

また人間関係がギクシャクすることも、人と比べて自分が劣っているような気がすることも、時には、誰にでも起こりうることです。

 

ところがこれを、何か病的な異常なことだと誤って受け取ってしまうタイプの人々もいます。何故そういうことが起こるのかと言いますと、根本には不安があります。不安によって、認識が歪められてしまうことによって起こります。

 

  • 異物化のからくり

 

「異物化のからくり」とは、誰にでもあるものであっても、これを異物として認識し、生存上あってはならないと思ったときに、自分の中に受け入れられなくなってくる心理的な現象を言います。

 

例えば、私たちの口の中には唾液があります。口にあるときには、別に気にもなりません。口中に溜れば無意識に飲み込んでいますね。

 

今、これを、きれいな皿に吐き出したとします。そうなると、それをまた、皿から口に戻して飲みこむことは、考えただけでも気分が悪くなってきます。

 

異物化のからくりを、元慈恵医科大学教授で森田療法を発展させた高良武久先生は、このようなたとえで分かりやすく説明しておられます。

 

自分の唾液でも、一旦、異物であると認識すると、再び、受け容れるのは困難になります。客観的に見ますと、口の中にある唾液も、皿の上にある唾液も全く同じ物です。でもできません。これが異物化のからくりです。

 

例えば、赤面なども同じことです。人間は、誰でも、何かのときには無意識のうちに顔が赤くなったりしているわけです。そんなとき、恥ずかしい気持ちのまま、心が流れている間は何も意識していないのです。

 

ところが赤面という現象だけを取り出してきて、みんなが「赤い、赤い」とはやしたてたりすると、ちょうど唾液を外に吐き出したときと同じ状況が生まれているわけです。

 

  • 精神交互作用

 

これは、注意と病的な感覚の悪循環のことです。心身の違和感に、注意を向ければ向けるほど、違和感が大きく感じられてくる。大きく感じられるから、ますます、そこに注意を向けてしまうという現象です。

 

スピーカーにマイクを近付けると、耳を塞ぎたくなるような「キーン」という騒音が発生する「ハウリング」という現象がありますが、これによく似ています。

 

一般に私達の感覚は、そこに注意を向ければ向けるほど、凄く鋭敏になってくるように感じられます。不安が高いときは、通常、自分の弱点に異常な注意を向けてしまいがちになります。この弱点というものは生存上の色々な不都合な状況ですね。

 

ときに心臓がドキドキしたりですとか、頭がフラフラしたり、あるいは対人関係がうまくいかないなど、そういう誰にでも起こりうる、ちょっとした弱点、違和感に執着してしまうわけです。そうしますと、ちょっとした弱点が、自分の存在を脅かす、ものすごく大きな欠陥のように見えてくるわけです。

 

  • 劣等感的差別観

 

人間は、多かれ少なかれ、誰もが様々な弱点や欠点を持って、その中で生きているわけで、弱点や欠点の皆無な、完全無欠の人間など、世界中のどこにもいないのが現実であります。

 

ところが、自分はこのような弱点を持っているから、他の人と比べて明らかに劣っていると深刻に悩んでしまい、自他を平等に見ることができなくなってしまう状態が「劣等感的差別観」です。

 

症状によって物の見方、考えかたが、歪んでしまっています。自分にあるものは、他の人にもあるだろう、などという見方はできなくなってしまいがちです。共感が失われていますから、周囲からは自己中心的に映ります。

 

  • 劣等感的投射

 

すごく気分のいいとき空を見ると、空が笑っている、雲が笑っているように見えます。自分がすごく機嫌が悪いときは、空を見ても、空が泣いて、雲が泣いている、というふうに見えます。

 

しかし、空が泣くわけはないのでありまして、これはみんな心の状態が外に投影されているのです。神経質の悩みに陥りますと、物事・出来事を見るとき、病的な気分を投影して見てしまいがちです。

 

先ほどの、視線恐怖の方の例で申しますと、隣の人が、自分の視線を気にして、腕を顔の横に持っていき、自分の視線を遮ったのだと思ってしまうのですが、現実を考えますと、隣の人は、ただ腕がだるくなったので、顔の横に動かしただけなのかも知れません。

 

しかし症状にとらわれてしまうと、何でも症状に関係づけて見てしまうことになりがちです。

 

5  神経質症を予防するためには

  • 不安に学ぶ姿勢を持つ

 

続いて、どうすれば神経質症にならないで済むかについて述べてみます。ポイントは不安を敵に回さないで味方につけることです。その上で、不安に学ぶ姿勢を持つことです。

つまり、不安を邪魔者あつかいにしないで、むしろ

 

「これだけ不安だということは、私に何か準備をしろと教えてくれているのだ」

 

と、こう考えてみます。

 

森田正馬は「不安は安心のための用心である」と述べています。不安は、私に何か準備をしなさい、何か対策を立てなさい、と私に教えてくれているのだ、というふうに受け取り、現実的な対策をとることにより、不安が引き起こされている原因の解決を図れば、神経質症になることはありません。

 

その反対に、カラオケに行ったり、アルコールを飲んで騒いで、ストレス解消を図ったところで、不安が引き起こされている元が断たれていなければ根本解決にはなりません。

 

つまり、不安を、あってはならない邪魔者と受け取るか、不安を感じたおかげで、問題の所在に早く気が付いてよかったと受け取るか、この違いは大きいでしょう。

 

大事なのは、不安の処理を間違えないということです。ここが肝心です。

 

  • 具体的な対応策を、子供と共に考える

 

子供を神経質症にしないために、私たち、親や教師は、どのようなことに留意して子供たちと係わっていけばよいかについて述べてみます。

例えば、ある子供が、次の様な相談をしてきたとします。

 

「僕は最近、いろいろなことが気になってしまって、考えれば考えるほど、自分のやっていることに自信がなくなってしまうんです。いったい自分は、どうなってしまったのでしょう。」

 

このようなとき、

 

「そんな気の小さいことでどうする。もっと気持ちを大きく持ってごらん。」

 

などと励ましたりしますと、子供によっては神経質症への道をまっしぐらに進んでしまうことになります。

そんな時には、

 

「何か、よほど困ったことがあるようだね。私でよかったら話してみない。何かよい解決法を探す手助けができるかもしれない。一緒に考えてあげよう。」

 

と、悩みや気持ちを聴いて差し上げる方がよいと思います。

 

悩みを、しっかり聴いてくれる人に出会うと、それだけでも不安は軽減していきます。その上で、日常生活でどうすればよいかについて、事実に即した具体的な対応策を、ポイントを絞って一緒に考えて差し上げることができればよいと思います。

 

もっと気持ちを大きく持ちなさい、明るい気持ちで係わっていきなさい、もっと積極的に、伸び伸びした気持ちになりなさい、などという抽象的なアドバイスは、子供を混乱させるばかりです。

 

  • 学校に来るか来ないかだけが問題ではない不登校

 

今日は、神経質症についてお話しして来ましたが、子供の不登校についても、簡単にふれておきたいと思います。

 

不登校への対応も、学校に来るか来ないか、どうすれば来るか、このようなことだけを問題にしても、あまり建設的ではありません。

 

不登校へは登校刺激をした方がよいのか。反対に登校刺激は控えた方がよいのか。無理にでも登校させた方がよいのか。それとも、今は、ゆっくり休ませた方がよいのか。ゆっくり休ませたら、そのまま学校へ行かなくなってしまわないか。こんなことを堂々巡りして考えていても、あまり役には立ちません。このような問題の立て方では、根本的なことを見落としてしまいます。

 

不登校は、学校に来るか来ないかだけが問題ではないのです。その子が不登校になった背後には、その子一人では解決できないような、何か困難な事柄があるのではないか。そこを見ていかないと本当の助けになりません。

 

一人では解決困難な問題も、適切な相談相手がいれば、解決できる可能性は高くなります。そこで、様々な課題を、その子や保護者が解決していくことができるよう、お手伝いするように係わっていくことができれば、本当の援助になります。

 

また、不登校の背景には、常に子供の性格や家庭の問題があるはず、とステレオタイプに考えるのも誤りです。

 

ときには、その子や家庭に何の問題がなくても、不登校は起こることがあります。例えば、学校にいじめや暴力行為があるために不登校になってしまっているのに、回りの大人が、そのことに気づいていない場合が考えられます。

 

この場合の不登校は、子供が自分の心身の安全を確保するための緊急避難の行動をとっているとして考えなければいけません。このような場合、いじめや暴力行為を根絶する努力をしないで、登校刺激を加えるのは、いじめや暴力行為に加担しているのと同じことになります。

 

このように不登校という現象も、一人一人の子供の立場に立って、親身になって相談に応じ、表面的な対応で終わることがないように心がけていく必要があります。

 

また、相談の内容によっては、スクールカウンセラー(学校臨床心理士)、教育センター、児童相談所、医療機関等、校外の専門機関との連携も必要になってくると思います。

 

  • 教師は、カウンセリングの基礎について研修を深める

 

現在、子供たちの心の健康に関する関心が、これまで以上に高まっています。文部科学省では、平成七年度から、小・中・高等学校にスクールカウンセラーとして臨床心理士を派遣する事業を開始しています。それに加えて、平成一○年度からは、四学級以上の中学校には、子供たちの身近な話し相手として「心の教室相談員」を配置しています。社会教育関係においても「家庭教育カウンセラー」という名称で、臨床心理士等による相談事業が開始されています。

 

現在、子供の「心の健康」や「心の教育」に関して、これまで以上に真剣に取り組まなければいけないのではないかという機運が、高まりつつあると言ってもよいと思います。

 

教師も、子供に勉強を教えるだけでなく、子供の心が健康に育っていくことができるよう、具体的な支援をしていくよう努めていかなければなりません。それには、人間の心の健康について、教育者の立場からの研修を深めていく必要があります。

 

そのため、現在、教育センターや教育委員会等の主催で、カウンセリングの研修会が開催されていますので、積極的に参加して学ばれることをお勧めいたします。また、私達も少しでも質の高いプログラムが提供できるよう心がけていきたいと思います。

 

  おわりに

 

今日は、思春期以降に起こりやすい神経質の悩みの代表的な事例や、それを発生させている心のからくりについて、簡単に紹介してきましたが、自覚症状の訴えだけで神経質症であるかどうかを判断するのは危険であることを知っておく必要があります。

 

何か身体の病気が隠れているかもしれません。また神経質症と似ていても神経質症ではない場合があります。必要な場合は医師の診察を受けることをためらってはいけません。医学的な検査を受けて、どこにも異常がないことを確認していくという配慮は欠かせません。このあたりはいくら慎重に行っても慎重すぎるということはない、と私は考えています。

 

また、今日は、神経質症発生のからくりについて、主に外部要因(適応上困難を感じさせる環境や社会的状況)に話題を絞ってお話しいたしました。症状発生には、その他にもいろいろな要因がありますので、研究してみられると新たな発見があると思います。

 

神経質性格の生かし方や森田療法理論に興味がありましたら、一般向けの森田療法関係の著書も多数発刊されていますので、研究してみられることをお勧めいたします。また、本格的に研究してみたい方には、日本森田療法学会という医師、臨床心理士、カウンセラー、大学の研究者等を主体とする学術団体もあります。一般向けの公開講座も開催されていますので受講してみられるのもよいと思います。ご清聴ありがとうございました。

 

・・・・・・・・・・(講演会参加者の感想から主なものを抜粋)・・・・・・・・・・・

 

  • 神経質の悩みの意味が、今日、お話を聞いて初めて分かりました。勉強不足でした。「不安の時期」というのは本当に誰にでも起こっているのだなと実感しました。私も、小学校 の時には、よく顔が赤くなって、クラスメイトにからかわれたことがありました。「ど うして私だけが」と思ったこともあり、今日はその時のことを思い出しました。これか ら、いろいろな子供に出合うと思います。もっともっと勉強が必要だなと思いました。

 

  • 自分の中にある神経質な傾向が洗い出されたようで、少し安心しました。自分の中にもあるということは、子供たちに共感できものがあるという気がしました。

 

  • そういえば、こんなことを気にしていたなと、昔を思い出すことが多かったです。今から見れば馬鹿らしいことでも、子供のころは確かに気にしていました。今の子供たちの様子や、社会情勢を考えると、このような悩みを持つ子供は、これからもっと増えてきそうな気がします。他では聞けない貴重なお話をありがとうございました。

 

  • 本当に今の子供たちは、不安をどこで、どのように解消していったらよいのか分からな くなっているのではないかと考えさせられました。学校だけでなく家庭でも、カウンセリングについて学ぶ機会があればと思います。

 

  • お話にあったような行動をとる生徒を、ときどき見かけることがあります。治療を必要とするほどでなくても、密かに悩みを抱えた子供は結構いると思います。大変参考になりました。特に「精神的からくり」の部分が印象に残りました。

 

  • 神経質の悩みについては、自分自身にも心あたりがあるものもあり、誰もが持ち合わせているということがよく理解できました。「不安を一緒に考えていく」そういう姿勢で子供たちを受け入れていきたいと強く思っています。

 

  • あるカウンセラーから「問題を持つ子供の原因を追求していくよりも、傾聴を」と言わ れたことを思い出しました。不安の処理を間違わないということが、今日のお話をお聞きして少し分かったような気がします。

 

  • 内向的で学校の中では大人しく、他人に迷惑をかけることのないように見える子供の心 の葛藤についてのお話を聞くことができ、一人一人の子供の心の内まで、もっと深く考えていく必要があることを改めて感じることができました。とても参考になりました。

 

  • いろいろな例を挙げて説明していただいたので、よく理解できました。私自身にもあて はまる例があり、神経質の悩みに関して考えを改めていかなければいけないと思いました。不安の処理を間違わないような助言を、生徒に与えていくようでなければいけないことを感じました。

 

  • お話を聞いて、私の学校にも思い当たる生徒がいるのに気づきました。他の先生方にも、今日の話を聞いてもらいたいと思いました。

 

  • 私自身にも思い当たる点が多くあり、考えさせられました。

 

(月刊誌「生活の発見」に掲載された原稿に加筆したものです。)

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