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【第12章】 「自分さがし」の教育観を「森田療法」から再考する・・・・・・平成26年度第32回日本森田療法学会(東京・慈恵医科大学会場)での発表に加筆したものです

(CDブック1 刀根良典 「森田理論で神経質は幸せになれる」 とね臨床心理士事務所/出版部)

 

第12章 「自分さがしの旅」の教育観を「森田療法」から再考する

 

 

とね臨床心理士事務所 カウンセリング・オフィス「ZEN」

 

臨床心理士 / 自律訓練法認定士  刀 根 良 典

 

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演者は、これまで、「森田療法」の考え方を青少年の教育場面に適用することを行ってきました。

 

演者が「森田療法」に注目した理由の一つは、「森田療法」が、道に迷う青少年の「生き辛さ」を突破するときの大きな力となることを、NPO法人「生活の発見会」での活動経験を通して知ったからです。

 

今年も、昨年に引き続き、「教育の立場から見た森田療法」という演題で発表いたします。

 

  • 「自分さがし」を「森田療法」から再考する

 

今回は、教育界で話題となることが多かった割に、教育現場での議論は中途半端なままで終わってしまっている感のある「自分さがし」「自己実現」等について、森田正馬の人間観を基に考察してみたいと思います。

 

その前に、流行語のようになった「自分さがし」が教育界に入ってきたときのことについて、ふれておきます。

 

今から十八年前の平成八年七月、中央教育審議会は、その第一次答申「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の中で、「教育は、子供たちの『自分さがしの旅』を扶ける営みである」と述べました。

 

昨年度(平成25年度)まで、文部科学省から中学生に配布されていた道徳教育の副読本「心のノート 中学校」も、次のような詩から始まります。

 

「自分さがしの旅に出よう カバンに希望をつめ込んで 風のうたに身をまかせ・・・・・・(中略)・・・・・・そこに何かが 待っている きっとだれかが 待っている。」

 

これがその実物です。本年度(平成二六年度)からは、この「心のノート」は全面改訂され、「私たちの道徳」という道徳教育用教材として全国の小・中学校に配布されています。「心のノート」も「私たちの道徳」も文部科学省のホームページからダウンロードできます。

 

「自分さがしの旅」はキャッチフレーズとしては、とてもよくできていたと思います。そして、この教育観が文部科学省から出てきたとき、当初は、私たち教師の多くが歓迎した記憶があります。

 

ただし、この「自分さがしの旅」を、言葉のまま受け取ったのか、あるいは何を誤解したのか、当人でなければ分からないのですが、

 

「今の自分は本当の自分ではない。どこかに、きっと今の自分とは違う本当の自分がいるはずだ。今の自分を捨て、本当の自分を探そう。」

 

とばかりに、学業を中断し、仕事を辞めて、「自分さがしの旅」を始める若者が、多数出現していることを、後で知らされることとなりました。

 

メンタルな問題で、学業や仕事が続けられなくなる若者は、昔もいたわけですが、今は、「自分さがしの旅」がしたいので、という理由が、新たに一つ加わっているわけです。

 

このあたりのことは、ソフトバンク新書から出版されている、速水健朗(はやみず・けんろう)著「自分探しが止まらない」にも、一般向けに、分かりやすく書かれています。この本の帯には「こんな若者には、もう、うんざり!」という見出しもついています。

 

一時は、もてはやされたようでもあった「自分さがしの旅」も、これを見る限りでは、今や、あまり肯定的には受け取られていないのではないかと思われます。ただし、この本は、「自分さがし」については、中立の立場に立って書かれています。

 

演者(私)も、「自分さがし」を頭から否定しているわけではありません。自分にも若い時に、同じようなことを課題にして取り組んだ経験がありますし、「自分は何者か?」を自分自身に問いかけ、その答えを求めようとするのは、青年期の発達課題の一つと言ってもよいところがあるからです。

 

だだし、それにはそれの「所作」、すなわち、その課題に取り組むにふさわしい「考え方」や「やり方」というものがあると思います。私も教育者の端くれですから、心理臨床場面等で、私とご縁のあった若者には、そのためのヒントぐらいは伝えてやりたいと思います。「森田療法」は、そのための有力な方法の一つとなります。

 

  • 現実を軽んじる「自分さがし」では砂上の楼閣となりやすい

 

学業を中断し、仕事を辞めて、「自分さがしの旅」を始める。このような生き方も選択肢の一つ、適応の一形態であるとするべきなのかも知れませんが、何か釈然としない。そう感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。次のような疑問が、すぐに頭に浮かんできます。

 

 

・「自分さがし」は大事なことであるとは思うが、今の自分を否定したり、現実の生活や日常実践を軽んじたりする「自分さがし」では砂上の楼閣となりやすいのではないか?

 

・見通しのないまま環境を急に変えてしまうと、実生活上にも大きな困難と不安を抱えることとなるのではないか?

 

・そうなっても、解決は探し当てた本当の自分がやってくれるだろうから気にしない、ということなのだろうか?

 

・森田正馬ならば、この状態を何と言っただろうか?「自分さがし」に明け暮れる青少年に、森田正馬ならば、何とアドバイスしただろうか?

 

・青年期の自己確立やキャリア形成への営みについて、森田正馬や森田正馬から直接に教えを受けた人々は、どのように考え、どのように実践していったのだろうか?

 

等々、いろいろな想いが沸き起こってきます。

 

ただし、言えるのは、最近の若者が、ただの享楽的な考えから現実逃避をしているわけではない、ということです。納得のいく人生を送りたい。ただし、どうすればよいのか、その方法が分からない、ということなのではないか。そのように私は考えています。

 

今回の発表では、「森田療法」が教育場面に、どのように寄与できるかという視点から、森田正馬全集に収録された記録や、演者がこれまで、NPO法人「生活の発見会」で出会った会員の事例等を通して、近年、教育界で話題となることの多かった「自分さがし」「自己実現」等について考察してみたいと思います。

 

  • 「根岸症例」から見る「森田療法」の教育的側面

 

ここで、青年期の問題を考えるときに、まずは、森田療法家によく知られている、「根岸症例」を取り上げてみたいと思います。(「根岸症例」:赤面恐怖治癒の一事例、出典:「神経質及神経衰弱症の療法」森田正馬全集第1巻、「神経衰弱と強迫観念の根治法」森田正馬全集第2巻に収録)

 

「根岸症例」は、赤面恐怖症の青年の治療記録でありますが、親の期待と自分の希望、理想と現実の不一致から、進路に迷う青年に対して、森田正馬が教育的な働きかけをした記録としても読むことができます。

 

これを読みますと、・・・・・(後略)。

・・・・・・(この後も続きます。続きはCDブックでお読みください。)・・・・・・

 

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